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つらつらと想うに…わが父の子育ての結果…

                                    三澤禧美子  

 

 つらつらと考えてみますと、ちっぽけな私の人生ですが、いろいろあったなあ…と思うこの頃です。どちらかと言えば「これは大変!」ということの方が多い中に少しばかり楽しいことがあると、それが嬉しくて生きてきたようなものです。でも私には特技がありました。それは、精一杯努力した後は「人間万事塞翁が馬」「?人生楽ありゃ苦もあるさー?」と、「天の神様」にお任せしてしまうことができたことです。

 多分、この性格は父親の教育方針によるものだと思います。父の人生訓のひとつに、「人間には、『鈍感というか、いい加減な部分』がなければならない」がありました。 遊びほうけている私に、「勉強しなさい」と母が言うと、父は「そんなに勉強しなくてもいいダ。2年生になれば1年生のことなんてヒューヒューわかっちゃうし、6年になれば5年生のことなんて目をつぶっていたってわかっちゃう、なあ禧美子!」と言うのでした。後に父は「それじゃ、いつも人より1年ずつ遅れてしまうでしょ!」と母に叱られていたことを私は知っていましたが…。

 それにもめげず寝そべって宿題をしている私に母が「机でちゃんとやりなさい」というと父は「いいダ、いいダ、寝そべっていたって頭へ入る時は入るで」。ついに「禧美子の教育はお父さんにお任せネ!」と、私の教育は母からは見捨てられてしまいました。故に「鈍」の力は付きましたが、兄や妹と違ってこんないい加減な人間になってしまいました。

 それでも「万事塞翁が馬」で、切り抜けることができる力が付いたことは嬉しいことでした。父の名誉のために付け加えますと、父は高校で物理化学を教えていました。何を教えていたのかしら…とは思いますけれど。

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